HOME布引製作所のルーツ阪神・淡路大震災のとき

阪神・淡路大震災のとき

平成7年(1995年)、1月17日、5時46分、未曾有の大地震といわれたマグニチュード7.3の直下型地震、阪神・淡路大震災が発生しました。新聞報道やTVのニュース等でよく見られた阪神高速道路の倒壊現場は、布引製作所から2kmほどしか離れていません。

布引製作所の社屋では、ワイヤ放電加工機が外壁を突き破って露出し、金型はすべて棚から落ち、足の踏み場もないひどい有様でした。布引製作所に当初、神戸市から出された診断は『全壊』。しかし、よく検証してみると、そのまま使える金型は少なかったのですが、補強して建設した柱構造であったため工場躯体に問題はなく、同様にプレス機も金型加工機も二次加工機も、ほぼすべての機械そのものにも全く影響がありませんでした。神戸市の職員の方が立入検査に来られた際には、敬遠される職員の方に工場内に入ってもらって倒壊の恐れが全くないことを確認してもらい、半壊の判定に切り替えてもらったのです。ここに7年前の将来を見据えた工場設計の技が生かされたのでした。

震災で倒壊した阪神高速道路

そうはいっても、神戸市東灘区のこのあたりは、電気と水が寸断されたままです。震災から2週間後、まずは二見工場の方で再開を果たすことができました。二見工場は人工島であったため液状化現象は免れませんでしたが、こちらも社屋を支える柱の補強工事が生きたカタチで、損害の影響が少なく、工場再開までの目処は立てやすかったのです。

本社工場では社員も家庭での不安もあることから、当面は8時30分〜15時までを営業時間とし、近くの給水所から水を運んで、少しずつ再開に向けて地道な作業を続けていました。


その間、多くのお客様からの安否を気遣うご連絡をいただき、また様々な救援物資を持参してくださった取引先様もありました。皆様のこうしたご支援のおかげもあり、布引製作所はこの辺りではいち早く工場再開を果たすことができたのです。工場のプレス機の動く音が響いた時、近隣の住民の方が驚かれて見に来られ、マスコミにも取り上げられたほどでした。