ROOTS
連載
株式会社布引製作所のルーツ
時代とともに環境対策に適したパイロスクリーンの開発
パイロスクリーン
時代は進んで昭和50年頃。高度経済成長も落ち着いたこの頃は、公害による被害が各地で相次ぎ、社会問題に発展していました。そんな時代背景を受けて、工場で排気する空気を清浄化する装置が必要となってきます。空気を清浄するフィルターには、当時クラフト紙や樹脂で作られたものがありましたが、紙や樹脂は耐久性が低く、熱があると燃えてしまいます。現在も布引製作所の取引先であるモトズ・エンタープライズ社の社長から、このフィルターをステンレスやアルミで製作できないかと相談が持ち込まれ、共同で開発を進めることになりました。当時の一般的なフィルターの規格サイズは500mm×500mmでしたので、このサイズに仕上げるのが必須条件となります。0.15〜0.2mmの板厚の薄い板に孔を開けるのではなく、切れ込みを入れて反対方向に押し広げることで菱形や亀の子型の網目状にするエキスパンドメタル技術を用いて開発したのが、高温集塵用フィルター「パイロスクリーン」です。
この画期的なパイロスクリーンを製作するために、専用機まで導入したのですが、思ったほどの注文が入りませんでした。
パイロスクリーン内部のフィルター
布引製作所のパイロスクリーンは昭和60年にドイツで特許を取得、さらに平成3年6月には国内特許を取得するに至りました。
『同じ時代にあった営業こぼれ話』
昭和52年頃には遠洋漁業において、トロール船で魚のすり身を製造する機械用の打抜スクリーンの依頼がありました。遠洋漁業ですから、九州の戸畑や東京の晴見の港に船が入港するタイミングを伺ってその港に向かい、他の機械調整のメーカー共々一斉に、寸法取りや交換・修復が必要なスクリーンの枚数確認を行い、船が出港する期日までに製品を製作して納品しなくてはなりません。このような短納期の製作にも柔軟に対応して納品しておりました。
納品場所のトロール船は生魚を処理しているところですから、その臭いは強烈なものがあります。2〜3日は臭いが鼻の奥に留まっている感じがあり、当時の担当者は今でもその臭いの記憶を思い出すことがあるとか。